玉川上水の紅葉はまだ五分といったとこでしょうか。
雨の多い11月ですが、今日は久しぶりの小春日和となりました。
紅葉から落葉の季節、この道を歩くのは五月の新緑と並んで最高の散歩コースです。
自宅近くから駅まで、ゆっくり歩きで20分。
用事ついでにこんな道を歩けるなんて本当にうれしいことです。
(学生さんの登下校時間はちょっとせまいけど)
葉っぱが少しずつ減ってゆくと、木の枝振りが乾いた空気にはっきりと見えてきます。
それぞれに全く違ったのび方で枝をはっているのがよくわかります。
遊歩道なので剪定も定期的に行われ、切られる度にのばす方向を変えたり、日のあたるところを目指しながら今日こうして見ているような魅力的な形になっているわけです。
木は動物から見ると停止してるように写りますが、遠い枝の先葉っぱの一枚まで生きてます。
時間の変遷を体現しながら目の前に立つ姿を見ると、とても感心してしまいます。
人の身体も表面にはわかりにくくても変遷の現れです。
人相や体格も、生まれ持った土台にそれぞれ過ごしてきた時間が乗っかって、いまの自分になっています。
例えば顔のしわなど、見つけるたびに恐怖しますが、そこにしわが刻まれる表情で生きてきたのかそうかそうかととりあえず納得。
まあなるべく朗らかなしわの方を増やしたいですが。
身体の歪みや左右差、症状として現れるものも同じかと思います。
まっすぐの方がバランスとりやすいから、効率はいいし絶対疲れにくいのは当たり前です。
でも何かの負荷を回避してなんとか過ごすために曲がったのかもしれないし、身体に曲がって受け止められる幅があったという事でもあります。
身体の生きる力は、どうまっすぐあるかということよりも、ねじ曲がってでも生き延びるという方向に働いています。
同じ方に曲がり続けたら折れるかもしれませんから、またバランスをとる事でだんだん平らに近づけたらいいと思います。
生きてるといろいろあるから曲がらずにはいられない時もありますほんと。
あと木がまがりくねって大きくなってるもとには、土に隠れた長くて広い根っこの存在が大きいですよね。
人でいうと血管とか内蔵になるでしょうか、やっぱり中身をあんまり痛めつけちゃいけないですね。
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